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横浜市にあるアメリカ海軍深谷通信所跡地に行ってきました。懐かしい気持ちが湧いてきた。

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こんにちは、横浜メガネ(@yokohamamegane)です。

僕は神奈川県に住んでいます。
神奈川県にはアメリカ軍が使用している施設がいくつかあります。
有名なところだと、横須賀やマッカーサーが降り立った厚木航空基地などがあります。

僕の住んでいる横浜市にもいくつかありますが、その中でも子供のころからの思い出がある、深谷通信所に久しぶりに行ってきたので写真と共にご紹介したいと思います。
ただ、写真にはついては施設敷地内に入ることができないので、フェンス外からのものになります。

そしてこの深谷通信所は、2014年6月に日本政府に返還され、現在は閉鎖されてしまった施設です。正式には2014年ですが、それよりも前に少しずつ深谷通信所の人々は撤退しいなくなっていきました。
今は誰もいなくなり、完全に廃墟と化しています。

紹介するにあたって、子供のころからの呼び名で「通信隊」とさせていただきます。

 深谷通信隊入口周辺

まずは、入口周辺になります。

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閉鎖後も昔と変わらずに、信号と神奈川中央交通のバス停は「通信隊前」のまま。
「変わらないといけないこと」と「変わらなくていいこと」ってありますが、僕にとっては思い出のある場所なので、変わっていなくてよかったです。

唯一変わっていたのは、一つだけ信号がなくなっていました。
以前は、通信隊からのバス通りに出るために信号がありました。
閉鎖されてから、撤去されたようです。

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上の写真は2枚はバス停付近からの左右のものです。
この道路(かまくらみち)の両サイドが通信隊の使用していた土地となっています。
滅茶苦茶広いです。

ここの面白いところは、通信隊の使用していた土地の中央あたりに道路が通っています。それ以外にも、日本に返還される前は近隣の住民にレンタル的な農地を貸し出していたりした場所がありましたが、現在は農地がなくなってしまいました。

農地はなくなりましたが、少年野球が使用しているグラウンドは残っているので、何か取り決めでもあったのかもしれません。

深谷通信隊ゲート周辺

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続いて、旧ゲート付近の写真。
以前はゲート上の三角形みたいなところに、アメリカ海軍と言うか、部隊のマークだったか分かりませんが「鳥居の中央ぐらいから錨がぶら下がっているマーク」がありました。とても印象的だったんです。

ちょっと過去に撮った写真を探しましたが見つからなかったので、気になった方はGoogleにあったので、こちらから見てください。今は当たり前ですが、そんなものはあるわけないですよね。ちょっと残念です。

あとで話しますが、そのマークってのが僕にとっては少し特別なものなんです。

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次が、注意書きと出入り口と通り抜けできる通路の地図。

注意書きはなんだか仰々しく書かれています。南関東防衛局ってどこにあるんでしょう。興味がある方は、調べてみてくださいね。

出入り口の多くは、昔は入れたんです。でも今は杭が打たれて入れなくなっていました。
そのための地図なんでしょう。

絶対やってはだめですが、ドローン飛ばして空撮なんてしたら楽しいかもしれないと思ってしまいました。ま、ドローンなんて持っていないからできないですけどね。

ゲート内監視所付近

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右側にある建物が入退場時にパスなどを求められる監視所になっていた建物です。
写真だと建物の裏にあたる部分に、ジープみたいな車が当時は止まっていました。
いつもここには2~3人の人が中にいて、普段は門番みたいに外に立っている人は、ほとんどいませんでした。

ゲート入ってすぐのところに遮断機みたいなのがあって、そこの近くに車や人が来ると建物から出て来ていました。

人がいなくなって手入れをしないと、やはり建物って傷むものなんですね。

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当時を知っている人なら分かると思いますが、何かが足りない気がするんです。
道路や建物が傷んで朽ちているのとは違うんです。

その違和感は、大きな電波塔がなくなっているからなんです。
近所に住んでいる方なら、電波塔を大型クレーンが撤去しているのを見ているからすぐに分かると思います。

僕は車で通ったときに、解体作業を見かけていましたがすっかり忘れていましたね。
監視所と同じ並びで少し行ったところに、電波塔があったんです。
それも、電気の送電線用の鉄塔並みの大きさのもの。
通信隊で一番存在を誇示していたものがないのは、少し寂しさも感じてしまいました。

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これが先ほど話した遮断機ですね。
遮断機の棒がなくなり、台のみになっていました。

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監視所の向かいにある、鳥居。
鳥居の奥に、社みたいなのがあったような気がします。

深谷通信所は、戦前は旧日本軍が使用していた施設で、戦後米軍がそのまま接収したものなので、旧日本軍が作った鳥居なのかもしれません。
アメリカ人が作るとは思えないですし「誰が作ったのかは分からない」と、ここにいた人も言っていました。

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閉鎖される前は、日本国旗とアメリカ国旗が風に揺られされていました。
今は何もなく、寂しく立っていたので、太陽を旗に見立てての一枚。

消防署周辺

ゲートを正面に見て、左から回っていきます。

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この道路、今は休みの日に少年野球の練習や試合をしに来た子供たちや応援に来た親が乗っている車が通るためのものになっています。
少し高めの木が並んでいるあたりまでが、通信隊の敷地になります。

奥に見える高い建物は、横浜市薬科大学の建物です。
大学になる前は横浜ドリームランドと言う遊園地がありました。珍しい揺れる観覧車があり、空中遊覧できる通常のゴンドラと絶叫系のゴンドラが混在している観覧車がありました。閉園後の跡地に大学ができ、ホテル(写真に写っている建物)は壊さずに大学の施設として再利用しているものです。

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上で説明した道路は、休日以外はゲートが閉ざされています。
このゲートは、施設が閉鎖される前も同じように休日以外は基本的に閉ざされていました。

僕が子供の時、当時流行っていた「リンボーダンス」を必ずやらなければいけない場所でした。

ちなみにこの写真だけ他のとは違い、撮り忘れて平日に撮影したものになります。

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フェンス横の高い位置にあるライト。
等間隔に設置されていて、侵入してきた人を発見するためのものだったのかもしれません。数字の「1」が白文字で書かれています。
番号で管理していたのでしょう。何番まであるのか気になります。

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消火栓と思われるもの。
「Back Draft」っていう僕の好きな映画があるんですが、消火栓の横にあるでっぱりの蓋をクルクル回してはずすシーンがあるんです。訓練しないとうまくホースを付けれないそうです。

日本なら黄色ではなく赤色なんでしょうね。

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消防車が止まっていた車庫と消防所の入口。
たしか消防車は1台しかなかったと思います。シャッターが閉まっていることが多かったですが、開いていると日本とは違う形の消防車を見ることができて興奮したことを覚えています。消防車好きなんです。

今思うと、消防車1台に対して随分と大きな消防署ですね。

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消防署のすぐ横にあるタンク。
中身は何が入っていたんですかね。

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これも消防署の横にあったもの。
たぶん、放水用のホースを乾かすためのものだと思います。

よく見ると下のほうの板を、木が突き破っています。
でも、普通に考えると日の陰った下に、あんな木が後から育たないと思うんですよね。
作るときに木が邪魔だったから切ったけど、根を掘り出さなかったから育って伸びて突き破ったって感じなんでしょうか。

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ホースを乾かす台と思われるもののすぐ横にあった、建物と舗装されたところ。
建物に名前らしきものが付いていないので、何に使われていたかは不明。

重たそうな鉄製の扉が閉まっているので中が分かりませんが、何か残っているかもと凄く興味を惹かれます。

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「旧深谷通信所跡地中央広場」と名前がついているようです。
ですが「中央広場」とは、この辺りを指しているのでしょうか。「西広場」や「東広場」があるんでしょうか。

野球グランドと原っぱしかないんですよね。
全部を含めて中央広場と呼んでいるんだと思います。

体育館周辺

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日本へ返還されてから、いたるところで杭が打たれています。
「入っちゃだめですよ」と書かれていますが、杭の一番上にしかロープみたいなのが張られていないので、下から自由には入れてしまいます。

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凄く年季の入っている建物。
扉も開いているし、動物の住処になっていることは間違いないだろうな。

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撤退する前はフェンスに囲まれている敷地内だけでなく、原っぱにもたくさんのアンテナがフェンスに囲まれてありました。その原っぱに放置されていた表示。
いったい何のために表示され、何のために使っていたものなのか。

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凄く曖昧な記憶ですが、このタイプの物が周囲に等間隔にあって、ワイヤーが張ってあった記憶があります。子供たちの間では、「ワイヤーに高圧電流が流れている」って信じられていました。

でも、今考えるとそんな危険なものが、誰でも触ることができる場所に設置しないと思います。フェンスの有刺鉄線の上や内側ならあってもおかしくないかなと思います。

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メチャ廃墟感が出ています。今のところ一番すごい廃墟です。
ゲームのよくある設定で、入らないとアイテムが取れない、そのアイテムがないと進めないから入る、大量の敵が出てくる。みたいな感じです。

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ちょうどゲートの裏あたりにあるライト。24本目です。
意外なのがライト本体は凄く錆びているのに、付いたままになっている電球はきれいでした。まだ、電気を通せば光ると思います。

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裏手のグラウンドでは野球の試合をやっていました。
ここの敷地には10面以上の野球グラウンドがあり、毎週大勢の人が集まってきます。

僕は野球に詳しくないのでよくわかりませんが、うまい子たちが集まって作っているチームが多く活動している場所らしいです。

あとですね、僕はこの砂利道と錆びたフェンスって凄く好きなんです。
凄く味があるというかなんというか、うまく表現できないんですけど分かります?

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「GYMNASIUM」って建物に書かれているから、体育館として使われていたもの。その手前にはプールっぽいのもあったけど、本当にプールかは不明。
体育館入口のライトが落ちかかっています。たぶん、落ちた時に外壁を傷つけて穴が開いてしまったと思います。

当時は居住区もフェンス内にあったので、働いている人の家族なども体育館を利用したりしていたのでしょうね。

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ゲート裏手にある小ゲートの鍵。
所々に同じような小さなゲートがあって、同じように鍵がかけられている。
凄く太い錠。

解体された電波塔パーツ置き場周辺

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「ほにゃららSTORAGE」って書いてあるので、何かの保管庫だったんでしょう。
「ほにゃらら」の部分が木で隠れていて、どうしても見えなかったです。

なんて書いてあるのかが気になります。

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ゲート付近で書いた、大きな電波塔の残骸です。
解体後に回収されているのかと思ったら、置き去りになっていました。
写真に納まりきってませんが、たくさんありました。

ないと思っていたので、解体されてしまっていますが少しうれしかったです。

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電波塔の残骸の奥に何かの建物が見えます。
煙突のようなものがタンクの上に出ています。
なんの建物なんでしょう。
本当に、外からだとわからないものがたくさんあります。

ここまでで、ゲートからみて右横まできました。
あと、少しでスタートしたゲートです。

ゲート手前まで

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ここの建物もなんだか上から飛び出しているものがあります。
なんの建物なのか本当にさっぱり分かりません。
軍事施設だから窓も極端に少ないような気がするんですよね。

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これも小ゲート。
でも今まであった小ゲートと違って、その先に道路がありました。

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小ゲートの先にある道路。
車が通れる程の道幅のある道路。
ただ、僕が撮影している後ろはガードレールになっているので、車両が通れる幅の道でも一般道に出ることはできない。
大昔は通れたのかもしれないですね。

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スタートしたゲートに到着です。
ゲートの少し右にこのライトがありました。
番号は「45」なので、45本立っているんでしょうね。

アンテナなのか変電施設なのか

ゲートから少し戻ります。
解体された電波塔のあったところから、5分ほど歩くと下の写真の設備があります。

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「KEEP OUT」の看板以外には、「日本政府に返還~」の看板しかなく何に使われていたものなのか分からないです。
ただ、ゲートのある場所以外で、旧施設のものが残っているのってここだけなんです。
たくさんあったアンテナは撤去されたのに、なぜこれだけは残っているのでしょう。
不思議ですね~。

おわりに

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上の写真に写っている大きな木は、僕が好きな木です。
ここに来ると必ず見て帰ります。
何ともない、ただの木なんですけどね。

そして最後になりましたが、ゲートの所で「マーク」の話をしました。
特別と書きましたが、僕はその「マーク」のおかげで通信隊の人と仲良くなったことがありました。もう20年ぐらい前の話です。

きっかけは「英語を話せるようになりたい。単語ばかり覚えても実践しなければ意味がない」「近くに通信隊があるから、行ってさり気なく喋れば勉強になるじゃん」って思って行ったんです。

ゲート遮断機の前で例のマークをガン見して、監視所の気を引き米兵に来てもらうように仕向けたんです。
まあ最初は完全に不審者扱いでしたけど、つたない英語を分かってくれたみたいで話してくれるようになりました。

その後も定期的に行き、本当はいけないんでしょうけど監視所の中まで入れて会話に付き合ってくれるようになりました。
英語は大して上達しなかったけど、すごくいい人で楽しかったですね。

でも、僕の引っ越しなどで行く機会がなくなってしまいました。通信隊自体も、衛星通信の発達で深谷通信所の必要性がなくなり閉鎖となってしまった。

中にいた人達は、アメリカに帰ってしまったのかは分からないけど、元気にしているといいな。
特に僕を一番最初に不審者扱いして、飲み物をご馳走してくれるまでになった彼にはもう一度だけ会いたかったかな。

ここで働いていた人が、この記事を見つけて懐かしく思い出してくれたら嬉しいです。

それと、ここはちょっと電線が邪魔なところもありますが、晴れて空気の澄んでいる日は富士山や丹沢山系が凄く綺麗に見えます。あとは夕日。ここから見る夕日は綺麗なのでおすすめできます。

では、また~。

今回も最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

BT〇

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